青梅鉄道公園
(その2)

2014年07月20日(日)
クモハ40形クモハ40054。この車両は1935年に田中車輛工場(現在の近畿車輛)でクモハ40134号として製造され、当初は総武線で使用されていた。後に山手線を経て戦後は中央線を中心に活躍し、1962年に日光線へ転入した。一時期青梅線の青梅〜氷川(現在の奥多摩)間を単行で走っていたこともあり、その縁でここへ保存されたらしい。
C11形の初号機。この車輛は1932年に汽車会社で製造され、1962年まで主に関西方面で活躍した。
E10形2号機。急勾配線用として製造された日本最大のタンク機関車で、戦後の1947年に製造された国鉄最後の新製蒸気機関車。この車輛は奥羽本線の庭坂〜米沢間、肥薩線の人吉〜吉松間、北陸本線金沢〜石動間といった勾配区間に投入され、1957年に北陸本線米原〜田村間を最後に引退した。特殊な用途に限られた機種だったために引退が早く、わずか14年程度しか運用されなかった。保存機はこの2号機のみである。
(その1)(その3)
鉄道のトップに戻る
トップに戻る