17シュタージ博物館
(その2)

2017年12月30日(土)
シュタージのトップ、エーリッヒ・ミールケの執務室(大臣室)。彼は1957年11月1日に大臣に就任し、「ハウス1」のこの部屋を1962年から1989年まで使用していた。ここでは公式訪問者を接待したり、シュタージの職員や重要なゲストと会議を行ったりしていた。1961年の完成以来この部屋はミールケの指示で何度も内装の変更が行われた。室内には複数の電話が設置されているが、東ドイツ政府の重要人物やソビエト連邦の要人と直通で話しができたらしい。
ミールケの秘書室。この電話は全てホットラインになっていてミールケの要望で秘書が東ドイツ政府の重要箇所にボタン一つで繋ぐことができた。
ミールケ専用のキッチン。大臣にもなるとオフィスに専用のキッチンもあるらしい。ミールケが書いたとされるある日の朝食の様子を描いた落書きが、専属秘書の机の引き出しの中から見つかっている。
ここも秘書室らしい。当時はまだタイプライターが現役だったようだ。
ミールケ個人の護衛だったハンス・カールソン大将(ちなみにミールケは上級大将)が18年間使用していた事務所。1971年にBDLという組織からシュタージに移り、その2年後にミールケ個人の護衛兼コンサルタントになった。東ドイツ崩壊後もミールケの死まで忠誠を尽くしていたらしい。
何故かここには流しも設置されている。
大臣休憩室。ここは書斎かな?
こちらの部屋にはベッドも用意されていて、ここからは見えないがバスタブの付いたバスルームもある。
部屋を繋ぐ廊下。
随分と豪華な休憩ホール。この隣に会議室がありその合間の休憩に使われたり、大臣がレセプションを開いたりするのに使用された。1960年代は女性用の休憩室も存在したが、結局東ドイツ崩壊までこのレベルに入れる地位に就いた女性がいなかったので、その場所はキッチンに改造された。この部屋のどこかに秘密のバックドアがあり、大臣やそのゲストは警備員や職員に気がつかれることなくここに出入りすることができた。
会議室。シュタージの重要な会議はここで開かれ決定されていった。会議以外にもレセプションに使われることもあった。
コートルーム。会議に出席する人達がここでコートやジャケット、帽子を置いて鏡で身支度を整えていた。
(その1)(その3)
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