17シュタージ博物館
(その1)

2017年12月30日(土)
ほぼ完璧な監視社会を作り上げた東ドイツの中枢にあったのが、この秘密警察・シュタージだ。かつての本部ビルが今は博物館になっている。かつては簡単に入れないようなゲートになっていたのが容易に分かる。
昔はこの周辺のビル全てがシュタージの建物だったが、中枢となるビル以外は一般の住宅やオフィスとして貸し出されていて、そのギャップに驚く。
ここは正式には国家保安省という本省の建物なので、入口はとても豪華だ。
シュタージが使用した囚人輸送車。シュタージは東ドイツ国内に17箇所の刑務所を所有し、そこに囚人を送るために使われていた車両。見た目の通り運転席以外は窓が無く、さらに囚人に刑務所の場所を特定されないように無駄にグルグルと市内を走り回っていたらしい。この車両はバルカス社のB1000という商用ミニバンをベースに改造されたが、見た目は普通の商用車のように偽装されていた。内部は5つの小部屋に分かれていて、囚人は手錠をかけられその中に閉じ込められていた。
ミッションという名前の部屋。プロパガンダ的な物が多い。
ベルリンの壁建設時には、国境の近くから「避難した」人々が多数いてその人たちもシュタージにとっては監視対象だった。この手紙はそのことを伝えるもの。
録音と写真の部屋。財務省の数室から始まったシュタージは、東ドイツ崩壊までにこの本部ビルは22ヘクタールの敷地に50のオフィスビルと7000人の公務員が働く規模にまで拡大していった。現在博物館になっているこの建物は「ハウス1」と呼ばれ、大臣であるミールケのオフィスは1962年からずっとあった。直ぐ近くには刑務所もあり、シュタージの本部がここに構えられた理由でもある。シュタージが拡大するにつれて周囲は大きく変貌し、建物の破壊やアクセス道路の閉鎖等が行われた。シュタージの職員の為にスーパーや美容院等のショッピングエリアがあったが、秘密保護の為に地図上でこの近辺は空白になっていた。
シュタージの装備。シュタージは軍隊に順ずる組織体制を導入していて、制服や装備も東ドイツ軍の物とそっくりだ。ただ普段は監視をする等、隠密に行動することが多かったので、私服でいることの方が多かったようだ。
建物の階段も豪華の作りになっている。
エレベータ。恐らく当時もエレベータのスペースだったのだろうが、現在は身障者用の新しい物に置き換えられている。
マルクスさん?あちこちにマルクス・レーニンの像がある。
(その2)
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