スミソニアン協会
国立航空宇宙博物館別館
スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センター

(その7)
http://www.nasm.si.edu/museum/udvarhazy/

2007年8月21日(火)
次は枢軸側のレシプロ機。まずはドイツ軍から。ドルニエDo335「プファイエル」戦闘爆撃機。見てのとおり前後にプロペラを挟んだ世にも稀な形をしている。レシプロ機の中では世界最速を誇る部類に入るが、実際に戦線に投入されることはなかった。
フォッケウルフFw190F。Bf109の後継として大戦終了時まで活躍した名機。当時のドイツ空軍機としては唯一の空冷エンジンを積んでいた。このF型は戦闘爆撃機として製作されたもの。
ハインケルHe219A「ウーフ」夜間戦闘機。当時のドイツ軍が本格的に作成した最初の夜間戦闘機。
本機はかなり高性能で現場の評判も良かったが、ヒトラーのハインケル嫌いもあってあまり量産されなかった。
お次は日本軍機。まずは中島J1N1-S「月光」。海軍が戦争中期から使用した夜間戦闘機。
初期の頃は夜間戦闘機として華々しく活躍したが、やがて物量にまかせた連合軍が夜間爆撃を行わなくなると、夜間偵察や夜襲等に用いられるようになった。
川崎・二式複座戦闘機キ-45改「屠龍」。大型爆撃機迎撃には効果を発したものの、当初の戦闘機としての性能は芳しくなく現場の評判も悪かった。
愛知航空機M6A1「晴嵐」。海軍が大戦末期に開発した水上攻撃機。伊400型潜水艦に搭載されたが、初攻撃の前に終戦を迎え実戦では使用されなかった。
川崎N1K2-Ja「紫電改」。水上戦闘機「強風」を元に開発された局地戦闘機。戦争後期にゼロ戦に代わりに量産された。
大戦末期の日本軍にあって優秀な性能を誇っていたが、局地戦闘機としては高高度性能が物足りず、B-29の来襲には殆ど太刀打ちできなかった。
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