18ミュージアム・オブ・フライト
(その7)
[アヴィエーションパビリオン]

2018年04月07日(土)
新しい展示スペース・アヴィエーションパビリオン。今まで雨晒しだった屋外展示機をこの屋根付き(ただし壁は無い)の展示スペースに移動した。
まずはボーイング・B-17F・フライングフォートレス。この機体は世界で唯一の飛行可能なB-17F型。そのせいかこの日は残念ながら所々シートに覆われていて見た目が良くなかった。この機体は1943年にボーイングの第二工場で生産された後にヨーロッパ戦線に送られたものの、戦闘の機会は無かった。戦後は公園での展示のために武装が外された状態だったが、空中消化機として民間に払い下げられた。その後は映画の撮影等にも利用され、1991年にこの博物館に収蔵されて復元作業が行われた。
ボーイング・B-29・スーパーフォートレス。B-17やB-24の後継の重爆撃機として太平洋戦線に投入され、日本人には悪い意味で馴染みのある機体。この機体はT-Square54と呼ばれる機体で、太平洋戦争中はサイパンに配備され第378爆撃隊、第498爆撃隊に配属され37回出撃した。戦後は朝鮮戦争で空中給油機に改造された。
ボーイング・WB-47E・ストラトジェット。元になったB-47はB-29やB-36の後継として戦略航空団が導入した戦略爆撃機。第二次大戦中に開発が始まったものの、戦後にドイツからもたらされた後退翼等の設計思想を取り入れて量産に移された。次のB-52への中継ぎ的な位置にあり、結局実戦には投入されることはなかった。この機体は1963年に戦略航空団から除隊後に海軍へ移籍し、気象観測型のWB-47に改造された。
グラマン・EA-6B・プラウラー。米海軍と海兵隊が運用した電子戦機。A-6イントルーダー攻撃機から改設計された機体で1971年から導入され、ベトナム戦争や湾岸戦争等に活躍した。この機体はワシントン州のウィッピー島にあるVAQ-134部隊に配属されていたが、後継のEA-18Gに置き換えのため2015年に退役した。
グラマン・A-6E・イントルーダー。米海軍、海兵隊で使用された攻撃機。朝鮮戦争時にジェット攻撃機として設計されたが間に合わず、結局ベトナム戦争からの投入となったが湾岸戦争まで30年以上現役で活躍した。この機体は1972年に製造され空母キティホークに搭載されて湾岸戦争に参加した。
グラマン・F-14A・トムキャット。似たような後退可変翼のF-111の受け取りを拒否した海軍が、自軍の艦隊運用思想に基づいて設計された。最大の武器はフェニックス空対空ミサイルで、最大5つの目標を同時に迎撃することが可能だった。アメリカでは後継となるF/A-18に置き換えられて全機退役した。
マクドネルダグラス・AV-8C・ハリア。ホーカーシドレー社が開発した世界初の実用垂直離着陸機だが、マクドネルダグラス社は次のハリア2から製造しているので、AV-8Cをマクドネルダグラス社製とするの博物館の解説はおかしいのだが…元々8Aが米海兵隊向けに製造され、ハリア2までの繋ぎとして近代化改修されたのが8C。この機体は海兵隊第542航空隊に所属していた。
ダグラス・A-4F・スカイホーク2。米海軍に採用された艦上攻撃機で、小型軽量ながら堅牢な作りでペイロードも多く使い易い機体だった。この機体は1966年に製造され1980年代からアメリカのアクロバットチーム・ブルーエンジェルスの4番機として活躍した。
グラマン・F9F-8(F-9J)・クーガー。アメリカ海軍初のジェット艦上戦闘機。当初は直線翼でパンサーという愛称だったが、朝鮮戦争では既に時代遅れとなっていて後退翼にデザインを変更されたのがクーガー。8型は胴体延長型。この機体は1955年にグラマンのニューヨーク工場で製造され、海軍、海兵隊を転々とした後、公園に展示されていた。1969年にこの博物館に収蔵され、海軍戦闘飛行隊VF-81の塗装で復元された。
展示スペースの片隅では、レストア用の部品が置かれていた。
(その6)(その8)
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