18フライング・ヘリテージ・コレクション[本館]
(その4)

2018年04月08日(日)
ハーレーダビッドソン・WLA。1937に739CCの民間用バイクを、フォートノックスの騎兵隊に納入してGMのバイクと共に評価された。戦争が始まると7万台以上が生産され、カナダ、イギリス、ロシアにも輸出された。主に偵察警戒や連絡任務に使用され、舗装道路では120Km/hのスピードを出すことができた。この車両は海軍で使用されたもの。
KMDB・T-34/85。第二次大戦中のソ連の主力戦車。85は85mm砲塔を搭載している。一般的には中戦車に分類されるが、厚い傾斜装甲を持ちながら機動性も高く、さらにソ連の戦車らしく丈夫で頑丈で取り扱いも簡単と優れた戦車だった。第二次大戦中に約57000両が製造されたがさらに戦後も生産が続けられ、最終的には1958年までに84000両以上が製造された。この車両は第二次大戦末期のバクラチオン作戦時の塗装が施されている。
チャーチル歩兵戦車・MkVII・クロコダイル。あくまで歩兵戦車であり、当時すでに始まっていた電撃戦に対応できるような対戦車戦闘には向いていなかった。MkVIIは車体設計を大幅に変更し装甲が強化されたタイプだが、代わりに機動性が犠牲になった。クロコダイルの愛称がある車体は火炎放射戦車に改造されたもの。ただし主砲はそのまま普通の砲弾を撃つことができたので、末期のドイツ軍には恐れられた。
M4A1・シャーマン中戦車。海に囲まれ戦車開発では一歩遅れていたアメリカが、M3の教訓を元に生み出した戦車。アメリカで最も生産台数の多い戦車で、イギリス、ソ連にレンドリースされた。この車両はシカゴのプレススチール社で製造されたもので、1943に陸軍に納入された。しかし戦場に送られることはなく、アメリカ国内で教育用に使われていたらしい。戦後の1945年にオランダ軍に譲渡され、2011年にイギリスの会社で第二次大戦時の姿に復元された。第31装甲部隊の塗装が施されている。
軽駆逐戦車・ヘッツァー。第二次大戦末期に量産され、前面には傾斜装甲が装備されたものの他の装甲は薄く、その代わり量産性にすぐれていた。この車両は戦後チェコスロバキアで製造されたもので、バルジの戦いに参加した第167戦車大体の塗装が施されている。

95式軽戦車・ハ号。1936年から陸軍で運用が開始され、日本の戦車としては最多の2000両以上が製造された。89式より機動性を重視して重量は約半分になったものの、軽量化した部分は殆どが装甲部分だったので、機銃でも穴が空くと言われた。中国大陸、東南アジアとほぼ戦線のほぼ全域に配備され、第二次大戦前のノモンハン事変から終戦まで使用された。戦争初期の対歩兵戦闘ならまだしも、中期以降アメリカがM4戦車を太平洋戦線に投入し始めると全く歯が立たなかった。

M5A4・高速トラクター。A4は初期生産タイプの懸架装置を水平式に換装したタイプ。元々のM5は砲兵牽引車で、砲門だけでなく人員や弾薬を輸送することができた。

M2 155mmカノン砲・ロングトム。アメリカ軍が第一次大戦中に運用したフランスのGPF155mm砲の後継として製造され、第二次大戦中は陸軍・海軍両方で使用された。北アフリカ、ヨーロッパ、太平洋戦線に投入され、61小隊で運用し命中精度も高かった。戦後も日本や韓国で使用された。

47mm 1式対戦車砲。1941年に日本軍で37mm砲の欠点を補い後継として製造されたが、本砲の後継は事実上量産されなかった。初期のアメリカM3軽戦車等には対抗できたものの、M4戦車が投入されるとこちらも歯が立たなかった。75mm砲が主流となる戦争終盤になっても終戦まで使い続けられた。

M60A1・パットン主力戦車。M48から火力と機動力を向上させ、冷戦中に15000両以上が生産されて西側の主力戦車となった。最初の実戦はイスラエルでの第四次中東戦争と言われていて、当時のソ連製の戦車を圧倒した。アメリカ陸軍では全車引退したものの、第三国では未だに現役で使用されている。この車両はヨルダン陸軍で使用されたもので、ヨルダンの博物館からの貸与品だそうだ。

R-11M 8U218 TEL(SS-1b Scoud-A)戦術弾道ミサイルシステム。SS-1bスカッドA1950年代にソ連が開発した移動式弾道ミサイル。第二次大戦後にソ連も多くのドイツ人技術者を獲得して独自の弾道ミサイルを開発した。R-11Mはソ連の第二世代戦術ミサイルで、当然核搭載能力もある。1958年に8K11と言われるミサイルシステムの運用が陸軍で開始された。で、ようやくこの車両の話だがTEL(電話ではなくトランスポーター、エレクター、ランチャーの略)として8U219の番号でキーロフの工場で製造された。

ゼネラルダイナミクス・M1A1・エイブラムスの訓練用砲塔。さきほどのM60パットンの後継として開発された第三世代の主力戦車で1981年に就役した。最初の実戦は1991年の湾岸戦争で、旧式のソ連戦車を圧倒しエイブラムスの損害の半数は同士討ちだったとされる。この砲塔はアメリカ陸軍で教育用に使用されたもので、2014年にこの博物館に収蔵された。さすがに本物のエイブラムスは手に入らなかったんだろうな…

(その3)(その5)
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