2008年09月
09月01日(月)
今日の国旗はウズベキスタン。今日はウズベクの独立記念日です。同じ国旗係の中にウズベクに派遣される人がいて、是非自分がウズベクの国旗を揚げたいというので揚げてもらいました。今日は私はタイムキーパー役。
テクニカルクラスが終ってしまったので、今日から午前も午後もホームクラスになります。まずは先週末の語学交流会で来てくれたゲストのメッセージのコピーをもらいました。午後はそれに対してのお礼状書き。元々私が代表して礼状を書く予定だったので昨日のうちに用意していたのですが、みんなで英語の勉強も兼ねて授業中に書くことに。
夕方には出所記念DVDの国別写真撮影。いよいよここでの生活もお終いなんだなぁという感じがしてきました。
夜は全体日直の引き継ぎ。今回はあっさりとみんなが嫌がる仕事が決まったので楽でした。
09月02日(火)
今日の国旗はインド。朝少しだけ引き継ぎと国旗掲揚の要領を教えてやっと全体日直の仕事はお終い。これで朝少しゆっくり眠れるというものです。
午後は3クラス合同で行動を使ってのジョイントクラス。やはりいつものように役割に分かれてお互いにインタビューしあい、最後にディスカッションしてグループで発表するというもの。お題は「ジューシーベイク」という最近はやっているドラッグについて。役割は医者、ジャーナリスト、警察、ユーザーで私はやはり(?)ユーザの役でした。3クラス合同だと20人近くになるので、なかなか面白かったです。
で、最後の発表は、この薬をリーガル(合法)とするのかイリーガルとするのか、その理由や対策は、ということをみんなの前で発表します。結局うちのグループだけ「リーガル」で他のグループは全員がイリーガルでした。実は種を明かすと、「ジーシーベイク」とはただ単にお酒のことで、確かにそれぞれの役割カードに書かれている内容を合わせると、確かにお酒のことだなぁと思いました。
その後は講座・保健のテスト。テストと言っても点が悪くても追試や呼び出しはないそうですが、昔は「JICA」や「JOCV」の正式名称が書けないと、書きとり20回があったとか。私はスペリングミスをやらかしてしまいましたが…
夜は最後の班会議。ようやくTシャツが来ました。自分もちょっとだけ係れたので少し嬉しいです。で、班長のジョージさんは相変わらずのキャラで最後まで楽しませてくれました。終わった後、私が今朝の食事当番だったらしくてそのことをすっかり忘れていました…みなさん、すいません。
09月03日(水)
今日の国旗はカメルーン。今朝は7時ぎりぎりに朝の集いに行きましたが、滑り込みで間に合いました。
朝は食事当番。昨日言われたのでちゃんとチェックしておきました。
今日は午前・午後とも授業で特に変わった事は無し。午後の授業中にEPテストの結果を返してもらいました。何故か最初と最後で点数が全く一緒。リスニングの点数が上がっていたのは良かったのですが、変わりにグラマーの点数が落ちていてプラマイ0。う〜ん、こんな状態で派遣されても大丈夫なんでしょうか…今週末は最後のテストに英文スピーチ発表会があります。それに向けてがんばらねば。
09月04日(木)
今日の国旗はガボン。この調子だと派遣される全部の国の国旗を掲揚できなさそうですね。今日は特に変わったことはなし。終了直前だというのに、今週はテクニカルクラスが無いせいか大きなイベントがないです。ただし明日から忙しくなりそうですが…
09月05日(金)
今日の国旗はニジェール。
さて今日はいよいよ最終テストの日。英語クラスは午前中は講堂でテスト。前半はリスニング、後半はライティングです。リスニングは最初「簡単じゃ〜ん」と思っていたら、後半になるほど難しくなっていき…結果は明日分かります。ライティングもイマイチだったなぁ。こんなことでどうしよう。
午後はホームクラスのMr.Cと個別面談式の口述試験。簡単な内容なのに、やっぱりいざ本番になると緊張してしまうのか、思ったように答えられませんでした。
その後は語学オリエンテーションと特別行事オリエンテーション。特別行事とは、皇太子に会いに行くやつです。ここの生活での決まりごともばかばかしいものが多いですが、この行事もそれに輪をかけてばかばかしいものばかりです。できれば休みたいけど、二本松に行ったPC隊員と会える機会はこの時だけだしなぁ…
夜はネパールカレー屋で、ホームクラスのフェアウェルパーティー。他のクラスも今夜はここで打ち上げをしていて楽しい時間を過ごしました。
09月06日(土)
今日の国旗はセネガル。パリダカの終点、ダカールが首都の国ですね。
さて今日はワンデイトリップということで、語学ホームクラスで光前寺に行ってきました。歩きで…私はタクシーで行きたいと主張したのですが、元気なシニアの方が歩いて行こうよと言いだしてみんなそれに賛同してしまいました…で、炎天下の中、死にそうになりながら30〜40分程歩いて光前寺に到着しました。この日は他のクラスも多くがワンデイトリップに出ているらしく、光前寺周辺は協力隊の人間が沢山いました。
光前寺は光苔で有名で、あちこちで光苔を見ることができました。なかなか広い敷地に落ち着いたお寺や庭が配置されていて、木陰は涼しく楽しい時間を過ごせました。
お昼は近くのピザ屋へ。ここにも協力隊の人間ばかりでした…石窯で焼いたピザはとても美味しかったです。そして、また悪夢の歩きで研修所に帰ってきました…今日はこれでつかれていっぱいいっぱい。なんでシニアの方があんなに元気なだろう?
帰ってきたらへとへとなのに講座が待ってました。しかしここでまたびっくりするお知らせが。後出所まで一週間を切ったというのに今日退所者が出たといことです。本人の意思と関係ないやむを得ない事情での退所ということだそうですが、とても残念です。
09月07日(日)
今日は飲みに行ったり遊びに行く人が多い中、私はゆっくり部屋で過ごすことに。荷物の整理やら明日の音楽祭の練習やら最後のスピーチの原稿を書いたりとなかなかやることはあるんです。
それでものんびり過ごしていたら、18時頃にF君から明日の音楽祭で最後にみんなで弾く曲の練習をしようとさそわれて講堂へ。三味線と合わせるなんて初めての経験です。
それが終って部屋に帰ると、扉のところで呼び止められました。なんでも卒業DVDアルバムが明日までに作成しなくちゃいけないのに、容量が8GをくらいいってしまいなんとかDVDの中に収める方法はないか、ということであわてて作業を手伝うことに。でも11時の消灯時間には間に合わず、取りあえず私のPCを預けて作業を続行してもらうことに。さて、どうなったことやら…
09月08日(月)
今日の国旗はキルギス。水曜日に雨が降らなければ、ちょうど最後の国、ウズベキスタンまで挙げられます。ウズベクは既に独立記念日に挙げられているので、ちょうど全部の派遣国の国旗を挙げられたことになりますね。
で朝、貸していたPCを返してもらったみたいですが、いろいろトラブルがあったらしくて結局だめだったそうです。後は業者とのかけあいになるそうですが…大丈夫かな?
それとクラスリーダーに語学自己評価表を提出し、スタッフルームにPDSシートを提出し、借りていた語学交流会のDVDを返しなかなか忙しい朝でした。まぁ締切の今日の朝ぎりぎりまで出さない自分が悪いんですが…
今日の授業は自習。明後日のスピーチの為と先日のワンデイトリップのレポートも今日中に提出しなくてはいけないので。ちなみに私はすっかり忘れていたのでレポートを書いた後、ほぼ完成していたスピーチの原稿を先生にチェックしてもらったら「内容がテクニカルすぎる」と言われて最初から書きなおすはめに…間に合うかな?
午後は自習でいつもとは違う14:30から講座が開始。すっかりいつも通り15時からだと思っていたので、スタッフの人に起こしにこられるまで寝ていました…内容は赴任前のオリエンテーションで出所後から赴任までの流れやお金の清算等の話でした。
夜はKTC音楽祭。今日は出所前ということもあって殆どの人が班飲みやクラス飲みに行っている中、30人ほども集まってくれました。私は葉加瀬太郎の「情熱大陸」とヴィヴァルディの四季・春・第一楽章。そして最後にちょっとかっこつけて「エトピリカ」をTシャツ委員やムービー委員なんかで率先してやってくれたタケチエさんのために、と言って弾きました。最後は出演者全員と観客みんなで「涙そうそう」を弾いて歌いました。すごく盛り上がって楽しいひと時でした。なんていうんだろう、今まで楽器を弾いていて味わったことのない独特の雰囲気でした。
終わった後はもう一人の出演者と一緒に班飲みに合流。すでにみんなできあがっていましたが、こちらも盛り上がりました。あちこちで写真大会。みんなで写真を撮りまくり、喋り飲んで食べてとても楽しかったです。帰寮時間ぎりぎりの22時に帰ってくると、やはり飲みに行ってた人たちとその送迎の車でで玄関前は溢れかえってました。
ようやく部屋に入って一息。でも書き直しのスピーチは終わってないし、明日は東京行きで6時集合だし…
09月09日(火)
今日は特別行事の日なので朝の集いは無し。その代わり6時に起床…しかも朝になって聞いた情報によると、二本松はなんと昨日だったとのこと。せっかく二本松のメンバーと会えるのだけが楽しみだったのに…
バスでは最前列の窓際をゲット。なんとこの席、運転席の真上に穴が開くようになっていて、そこに足を伸ばしてくつろげる特等席でした。なので長時間のバス移動もぐっすり眠っていられました。
バスは予定よりも早く最初の休憩地、双葉SAに到着。私が以前勤めていた会社がここのすぐ近くにあるのはなんかの縁でしょうか。その後時間が余ったのか臨時で石川SAにも立ち寄り、予定より早く昼食&待機場所の「日本青年館」に到着。ここでお弁当を食べ、時間に余裕があったので周囲を散策していました。
そしていよいよ出発。東宮御所はすぐ近くです。警備の都合なのか昔からの構造なのか、こんな大型の観光バスが入るのか、というくらい狭い門から、運転手さんの超絶技巧の技で何度も切り返しながら中の駐車場に到着。ちなみに御所内はバスの中からでも撮影禁止なので写真は一枚もありません。
今のうちにトイレをすませておけということで、駐車場の近くの池の近くにあるトイレへ。ちょっと期待して行ったのですが、普通の公衆トイレと全然変わりありませんでした。それにしても近くに赤プリやオータニ、オークラが見える東京のど真ん中とは思えない静かな所で緑豊かな場所です。
しばらくバスの中で待機させられ、それから駐車場に国別に並ばされました。(並び順とかは昨日のオリエンテーションで練習済み)この日は良く晴れていて残暑の厳しい中、Yシャツにスーツにネクタイのクソ暑い格好で並んで歩かされました。行った先は東邸。名前から察するにゲストを招いた時の東屋のような所なんでしょう。意外と小さく、そして古めかしい洋館と言ったイメージの建物で、小さい車留めのある小さい入口を入ると左手に記帳をする台が菊の御紋付きで置いてあり、そのまままっすぐ通されました。そこは白を基調としたダブルルーフの間接照明にピンク色のふかふかの絨毯のある広い部屋でした。
部屋の中には調度品がいくつかあり、まず皇太子が出入りする入口は直接見えないようにガラス細工の屏風と布で覆われていました。そして隅にはピアノが。なんとベーゼンドルファーです。渋い選択ですね。後で侍従長とやらに聞いてみたのですが、誰の好みでこのピアノを購入したのかは分からないそうです。
侍従から接見の説明の後さらに立ったまま20分程またされいよいよ皇太子のお出まし。まず所長の挨拶があってから各国順に接見が始まりました。やっぱり最初はブータン。せっかく国リーダーをすーさんに押し付けたのに、ブータンは2人しかいないので皇太子と話すはめに。ちなみに皇太子、ブータンを最初ベナンと勘違いしていました。
それにしても、気さくにいろいろ話をしてくる上、例え10人以上いる国でも必ず1人1人に声をかけていたのは偉いですね。ちなみに歓談の間はお付きの人がジュースのお変わりやクッキーを持ってきてくれます。ちょっとした中庭もあってそこにも出れたのですが、庭の片隅に市販の香取線香が置いてありました。
皇太子1人に対し我々100人以上なので、皇太子と話し終わった後は侍従や女官とかとお話をします。そして40〜50分程で接見は終わり皇太子が引き揚げ、我々も引き揚げました。
そしてまたバスに乗って青年会館に戻り弁当を積んで帰路に着きました。帰ってからすぐに昨日急遽中止になった旅行会社オリエンテーションがあり、公用旅券と飛行機のチケットや日程表等が配られました。
その後はPCのトラブル相談に対応し、明日のスピーチの原稿を書き上げました。
09月10日(水)
今日の国旗はスリランカ。今日は最後の朝の集いです。最後のラジオ体操は、あの超ハイテンションの一番最初にラジオ体操をした人。彼曰く、最初はスタッフの人と間違われていたとか…なんだか今日は「最後の」という単語をあちこちで耳にしました。
といっても一応今日は普通の課業。午前中は語学授業の集大成、3クラス合同で行う語学発表会です。私は昨日の夜3時くらいまでスピーチを書きなおしていたので、あまり要点を暗記できずにメモを見てばかりいましたが、時間通りに一応なんとか終わることができました。自分のスピーチが終わると、みんなから質問と、講師陣からの評価が伝えられます。良いことばかり言われましたが、欠点はアイコンタクトが足りないこと…そりゃ、内容を暗記してないですからねぇ。それにしてもトップバッターとは…その代わり、後はのんびりと他の人のスピーチを聞くことができました。みんな最初の頃に比べると上手くなったなぁと思いました。
午後は最後の授業。といっても普通に今まで通りの授業でした。このクラスでMr.S.Cと和気あいあいと学べたのは本当に良かったです。合計するとたった2か月で200時間以上もここで勉強したんですね。少しは上達したと自分でも実感できました。
その後は「青遺海の会」の講座。この会は、不幸にも協力隊で派遣中に事故等で亡くなられた遺族の方で結成された会です。実際の話を聞くと、私も涙がでそうになりました。印象に残った言葉は「普通の**会は、会員数を増やすことを目標にするが、この会はこれ以上入会者を増やさないようにするのが目的です」でした。
その後は宅配便業者がやってきて荷物の積み出し。私は迎えがくるのでのんびりと荷物整理と部屋の清掃をしていたら、12時近くまでかかってしまいました…多くの人は今日は飲みに行ってたみたいですね。あちこちで分かれを惜しむ声が聞こえてきました。
09月11日(木)
いよいよ今日が最終日。今日の朝の集いは無しで最後の朝食を食べる。ちょうどみんなで書いた色紙を食堂のスタッフに渡すところでみんな盛り上がってました。
部屋は昨日のうちに(正確には今日までかかってしまいましたが…)掃除と片付けを済ませたので、後はスタッフに内部の点検をしてもらうだけ。狭くて日が差さずなんかいつもカビ臭い部屋でしたが、さすがに最後くらいは感慨にひたりました。
その後は講堂で所長講話。その後は森のステージに移動して修了式のリハーサル。まぁもう言いますまい。リハーサル終了後、スタッフから注意が。昨日は最後の夜だったので飲みに行った人が多かったらしいのですが、どこかのバカが外で「もう公用旅券ももらったし明日で終わりだから今日は門限なんか守んなくても良いんだよ〜」みたいなことを大声でどっかで言ってたそうです。それを聞いた付近の住民がわざわざ訓練所まで通報してくれたそうです。言ったやつもバカですが、わざわざそんなことを電話で通報する人もどうかと思うんですが…まぁ我々も国民の税金で行かせてもらってますからね、公務員と同じ目で見られるので、民間人より厳しい目でみられるのでしょう。
さていよいよ退屈な修了式が始まりました。なんとY所長がここにきて1人1人に終了証書を手渡ししたいと言い出したので、200名以上が30分以上かかって終了証書と記念品をもらいました。もう拍手するのも疲れました…ちなみに記念品はJOCVはエンブレム、SVはピンバッチだそうです。
まぁこの手の施設ですから、来賓も国会議員の秘書やら祝電も国会議員とかからが多かったですね。それと駒ヶ根の「協力隊を育てる会」からは日本アルプスをデザインしたバンダナを貰いました。
修了式の後は森のステージで壮行会。12時も過ぎてお腹がすいて疲れた体なのにこ、こでも長々とスピーチがあった後立食パーティになりました。この訓練所は普段アルコールの持ち込み禁止なんですが、この日ばかりはビールが用意されました。ここで最後の挨拶まわり。行きかう人とそれぞれ言葉を交わして、お世話になった先生やスタッフの方に挨拶して、あまり食べる暇もありませんでした。
盛り上がった会場は、最後では胴上げが始まりました。この胴上げで怪我でもして派遣延期にでもなったら笑っちゃいますね…調子にのったみんなは、最後はY所長も胴上げ。そして14時には解散となりました。最後に部屋の鍵を返し、家路につきました。私は出迎えの車で帰れたので楽でしたが、他の人達は殆どがチャーターしたバスで東京、名古屋、大阪方面に向かって行きました。
09月16日(火)
今日は静岡県庁へ表敬訪問。わざわざ新幹線で静岡まで行ってきました。
県庁の場所がイマイチ良く分からなかったのでタクシーで。ところが県庁に着いてから集合場所のメモを忘れたことに気が付き仕方がないので受付で聞いてみると、国際課の人が9階まで迎に来てくれるとのこと。指定の場所まで移動しようとすると…途中にあったロビーにみんながいました。良かった〜
どうも私が最後だったらしく、みんなで表敬訪問の会場へ。今回静岡県の人間は多くて全員で12人。お相手は副知事さんでした。それにしても会場にはTVが3社、新聞が2社と結構な注目度。少し緊張気味でした。
そして副知事とのお話。一人づつ簡単に自己紹介や抱負を語って、最後に副知事自ら一人一人に記念品を渡して、全員で集合写真を撮っておしまい。
その後はJICA中部の人とお話をして、同期でお茶を。それにしても研修所を出てからまだ一週間も経っていないのに、随分久しぶりな気がしました。そして、この中で明後日の浜松市の表敬訪問をする3人や成田で出発時間が重なる人を除けば、もう2年後までは会えないんですねぇ。なんだかとても不思議な気持ちでした。
09月18日(木)
今日は浜松市への表敬訪問。とその前に本社の人事部に立ち寄って書類の提出とご挨拶。それから静銀の浜松本店に行って米ドルを両替。昨日のリーマンショックの時に両替していたら1ドル103円だったのに、今日は105円でした。まぁ時間もないので仕方がありません。
その後市役所に移動して、表敬訪問前に住民票の転出届を出してきました。これで私はしばらく浜松市民ではなくなってしまいました。住民票の転出届は思ったより簡単に終わってしまい、少し待つことに。そして時間になって皆で市庁の部屋に行きました。先日のHぴんの結婚式で知っていたのですが、H今日のYさんが実は市長の秘書課に勤務。ばっちり会った上に、お茶まで入れてもらいました。なんかこんな所で知り合いに会うのは恥ずかしいですね。今回は浜松市の人間だけなので4人。マスコミも新聞が1社と落ち着いた感じでゆっくり話せました。最後に市長からまた記念品を貰いみんなで記念撮影をして表敬訪問は終わりました。
その後、市役所に勤めているもう1人のH響のM君と秘書のYさんと少し雑談。仕事中だからといって階段の踊り場でこっそり記念写真を撮りました^^;
その後はみんなでお昼ごはんを食べてから駅前へ。私が今使用しているヴァイオリンを医大の子に預ける為です。さすがにブータンに今のヴァイオリンを持って行くのはリスクが高いと思い、だからと言って家で2年間寝かしていたらヴァイオリンがダメになってしまいそうなので、医大の子に預けて弾いてもらうことにしました。ちょっと悲しいですが、このヴァイオリンとも2年間お別れです。でも台湾で買った7000円のヴァイオリンは持って行きますが^^;
さらに、夜はBIJAでくれちんのフットマッサージ&カレー。BIJAには元ブータン隊員の方がいて、いろいろと相談にもらったりしたので、お礼も兼ねてご挨拶してきました。
さてマッサージの方は餞別代りにと、ブータンスペシャルマッサージ(フットケアだけでなく全身をマッサージしてもらっただけですけど^^;)をしてもらいました。
その後はお待ちかねカレーの時間。と思ったらなんだか隣の席に見たことのある顔が…なんとY社で協力隊の先輩のHさんが。しかも今度BIJAでやる早川千晶さんのイベントの打ち合わせできているとか。一緒にお手伝いする人は、以前「となりのアフリカ」でも一緒になったことのある人でこれまたびっくり。私が早川さんの影響で協力隊に参加した話をすると、向こうもびっくり。早川さんは私が出発した後に浜松に来るのでお会いできませんが、人の縁てどこで繋がっているか本当にわかりませんねぇ。
楽しい食事とおしゃべりの時間もあっと言う間で、気がつけば閉店時間をとっくにに過ぎてしまい「そろそろ…」とお店の人に催促されてしまいました。いつも遅くまでねばってしまってすいません(_o_)
それにしても今日はいろんな人と会って、いろんな驚きが沢山あった日でした。
09月22日(月)
いよいよ今日が出発だ。成田07:30集合なので浜松を03:00に出る。お犬様達とも2年間さよならだ。やつらは全然分かってなさそうだったけど…道路は空いていて順調に07:00前には到着。しばらくお茶をして時間をつぶして、07:30に集合場所へ。すると懐かしいメンバーの顔がいるわいるわ。皆で再会を喜びあっていました。ところが、すーさんが時間を過ぎても現れません。二本松のPC隊員真ちゃんがいたので聞いてみると、昨日は夜遅くまで飲んでいたそうな。しかたがないので電話をすると、ちょうどバスが検問で引っ掛かっている最中だとか。結局20分くらい遅れでブータン組全員集合しました。まだこの時間だとチェックインカウンターも空いていてすんなりチェックイン終了。予定通り、イクジットローの窓側の席をゲット。その後は解散して飛行機で集合ということになりました。
さて出発までの間朝飯を食べようと思い、せっかくなら寿司を食おうと探していたら、2軒あるすし屋が2軒とも開業前…しかたがないので、なぜかとんかつを食べることに。すると母と親戚の伯父さんと伯母さんの3人が見送りに来てくれました。記念写真を撮って餞別まで頂いてしまい、お別れしました。そしてその後奥さんともお別れ。奥さんは来年のGWに来る予定です。
セキュリティチェックもすんなりとおり、公用旅券唯一の特権「出国審査」に来ると…公用旅券用のカウンターがありません…これだけが唯一の楽しみだったのに…ま空いていたのでこちらもすんなり通過。
自慢ではないのですが、海外旅行でエコノミークラスに乗るのは実は初めて。(プレミアムエコノミーはある)約6時間のフライトに耐えられるか心配です…全員が搭乗した後、ゆっくり最後に機内に入ると、何故か同じ列の隣の隣にすーさんが座っていました。
強い雨の中、飛行機は無事に離陸。ビジネスと違ってエコノミーは楽しみがあまりありません…昨晩も荷造りでほぼ徹夜だったので寝ていました。足元も広々だし。
寝ている間にあっという間にバンコクに到着。タイ組とはここでお別れ。広域研修でも開いてまた会おうと約束して別れました。
ドンムアン空港には何度も降りたことがありますが、スワンナムーブ空港は今回が初めて。明るくてきれいでなにより広い空港でした。
入国時も公用旅券用のイミグレは無し。というより、普通のカウンターがガラガラだったのでそちらに回されてしまいました。全然公用旅券の威力を実感できません…
今回は乗り換えなので、空港内にある「ノボテル・スワンナムーブ空港ホテル」に宿泊。ホームクラスで一緒だったネパール行きのYさんも同じホテルでした。しかしSVは1人1部屋なのに、JOCVは2人で1部屋とは…せこいなぁ。まぁすーさんが気の合う人で良かったけど。その後はいつものようにホテル内を探索。部屋はバスタブ付きだったので最後のお風呂につかって寝ました。翌日は深夜2時出発です。
09月23日(火)
今日は1時に起床。出発が04:30分なのでホテルは2時に出ようかと。それにしても眠い…SVの方たちは昨晩食事をされたそうで、ネパールに行かれるYさんとお会いできなかったのが残念です。
再びバスで空港まで戻ると既にチェックインは始まっていました。大量の荷物を抱えたインド人がいてびっくり。うちらの荷物の比ではありません。当初預入荷物が1人20Kgまでと書かれていたので、40Kgの私は2Kgの超過料金を覚悟していたのですが、正規料金のおかげか1人30KgまでOKとのこと。しかも4人まとめて30×4=120KgまでOKとのことで、軽い人の分に超過分が回ったおかげで4人で20Kgオーバーで済みました。
さて出発まで時間があったので、SVの方のおごりで食事を取ることに。せっかくなのでタイ料理でも食べようかということになったのですが半分くらいの店が閉まっていて何故か日本料理屋に。まぁしばらく生魚なんて食べられないからということで海鮮丼を食べました。まぁまぁ日本の味に近かったです。
さていよいよ搭乗。と思ったらなんの案内もないまま30分のディレイ。まぁこんなもんでしょう。こんなことくらいでいちいち腹を立ていたらこの先2年間持ちません。
搭乗してみると中は満席。今度はイクジットローシートもゲットできず、狭い席でがまん。でも寝ていたらあっという間でした。機内食が配られたのですが「ノンベジ? or エッグ?」と聞かれました。普通はベジタブル?だろうがと突っ込みをいれたくなりましたがとりあえず肉食にしました。
そのうち経由地のカルカッタに到着。ここでインド人は殆どが降りてしまいました。が、同じ数だけの乗客が乗ってきてまたまた満席。
そして再び離陸すると、そのうち夜が明けてきました。しばらくするとエベレストが見えてきました。肉眼でエベレストを見る機会があるなんて思ってもみなかったです。
エベレストが見えればもうすぐブータン。飛行機は山間部をすれすれに飛んで見事着陸。すごい所に空港があります。どうやらビジネスクラスにVIPがいるらしく、お迎えの人や警備の人がいました。後で聞いたらどうやら外務大臣のようです。
今度は我々の番。タラップは手押しでした…それにしてもなにもない。まるで島根県のようです(ネタです)。そして、自分の足で空港の建物まで歩いて行きます。
そしていよいよここで公用旅券の特権が使え「ディプロマ」のイミグレに並んでみると…1人1人に時間がかかって、一般旅券の人の方がスムーズに入国してました。全く恩恵なし、公用旅券。
しかもJICAの出迎えの方がイミグレまで迎えに来てました。良くこんな所まで入れるものです。SVの方が英語がわからずまごついていると、そのJICAスタッフがイミグレのカウンターまで言って説明までしてしまいます。なんとものどかな国ですなぁ…
なんとか入国審査も通り税関を通りぬけようとすると、珍しく私が引っかかってしまいました。どうやら肩掛けカバンがあったのでノートPCがあると分かってしまったらしく、持込リストに記入されてしまいました。これ、帰りもないと面倒なんだよなぁ…
空港内の銀行で100ドル程両替して迎えのバスに乗ってまずJICA事務所のある首都ティンプーに向かいます。パロ〜ティンプー間は今年の戴冠式に合わせてとてもきれいに(ブータン基準で)整備されていました。それにしても最初は見るもの全てが新鮮で写真をばしばし撮りまくっていました。
最初に調整員の方がミネラルウォーターをショップで買ってくれました。が、何故か安いと言って調整員と運転手まで卵をダース買いしてました^^;
また途中でブータン様式の橋(名前失念)がありちょっと小休止。一通り渡ってみたり写真を撮ってみたりしました。橋は竹でできていて、一部壊れて下の川が見えます。が、良く見てみると鉄のネットがあり一応安全なようです。
しばらくするとドチュラに到着。ここはパロからの道とインドへ通じる道路、そしてティンプーへ繋がる道の分岐点で検問所が設けられています。ブータン国内は、どこに移動するにしても通行許可証が必要で、唯一パロ〜ティンプー間だけ許可証が必要ないそうです。
バスは再び発車、しばらくするとティンプー市内に入りました。なんと片側二車線の立派な道路です。そしてまずドミトリーに到着。ここで荷物を整理してすぐにJICA事務所へ。その間SVは宿泊するホテルへ案内されていたようです。ここでスタッフの方への挨拶と自己紹介、そして所長講話があり、半分寝ながら聴いていました。
その後は昼食へ。スタッフの方のおごりで早速ブータン料理を食べに行きました。やっぱり辛い!でもこのお店は外国人用に手加減しているらしく、唐辛子の種をちゃんと抜いてあるのであまり辛くないそうな。恐るべし、ブータン料理。昼ごはんの後は、市内を少し案内してもらいそして事務所へ帰ります。しかし坂の多いティンプー市内でしかも標高は2400m。普通に日本と同じ感覚で歩いていると、すぐに息が切れてしまいます。事務所へ帰りついた時はヘロヘロでした。が、ちょうど運転手さんがいたのでドミトリーまでは車で送ってもらえました。
ドミトリーへ一度帰って休憩と荷物の整理。管理人のライさんがいて中を案内してもらいました。その後、再び事務所へ行って必要書類を書いて今日はお終い。ドミトリーへ帰ると管理委員会の人からいろいろ細かいドミ内の使い方や説明があり、その後皆で夕食へ。またまたブータン料理でしたが、今度はさほど辛くなく普通の味でした。
そして解散、今日はいろいろなことがあって疲れました…
09月24日(水)
朝食は先輩隊員からパンと牛乳の差し入れがあり軽くすませました。ついでにお菓子の差し入れもありました。みなさん、やさしい人ばかりです。
さて今日の午前中は市内見学。車で案内してもらいまずは病院へ。病院の緊急窓口の場所を教えてもらいましたが、緊急の時はまずJICAの健康管理人に相談してくれとのこと。じゃぁここの場所教えてもらってもあんまり意味ないじゃん、と思ってしまいました。
その後は写真屋さんへ。SVの方が写真が足りなくて撮ってもらいました。6枚撮って300円くらい。私、日本で1枚420円で20枚撮ってきたんですが…カメラのキタ○ラ、ぼったくりやがったな。
次に歩いて銀行へ。銀行では口座を開設します。ここにJICAから生活費が支給されます。
次に車で市内の主要施設、警察署や郵便局、バスステーションや電話局、免税店やドゥルックエアのオフィス、市場、スーパー等の場所を教えてもらいました。ところどころで降りて買い物。やっぱりガイドのスタッフや運転手もスーパーでは自分の買い物をしてました。やっぱりこういうところに日本との違いを感じますが、そろそろこんなのも慣れてきました。
郵便局ではなんと裏口から侵入。なぜか小包が保管している場所も見学させてもらえました。そしたらなんと、私以外の3人の方の別送荷物が既にそこにあり、このまま持って帰ろうかと冗談半分で言ってました。
一通り見学が終った後は市内で解散。午後のオリエンテーションは14時からなので、その間にお昼ごはんを食べることに。あっさりしたものが食べたいねということで中華に。ブータン料理はとても脂っこいので、中華料理でもあっさりしている方なんです^^;
まだ時間があったので、その後は各自自由行動ということで市内をブラブラしていました。途中で子犬と遊んでいる子供がいてカメラを向けたら、嬉しそうに笑ってポーズをとってくれました。その場で撮った写真を見せてあげると喜んでくれて、なんかこっちもちょっと嬉しかったです。
さて、事務所に戻ってからは半分寝ながらオリエンテーション。まだ慣れていないのでいろいろと疑問が湧いてきますがいろいろと丁寧に教えてくれました。夜は頭痛がひどくなったので早めに就寝。まだ高地に慣れていないようです。
09月25日(木)
今日も午前中は事務所でオリエンテーション。安全対策クラークのドルジさんからブータンの安全事情の説明がありました。その後はブータン人スタッフのツェリンさんからVISA取得の為のレターの書き方説明等、今日は英語での説明が多かったです。でも聞き取れたのはまだ半分くらい…もう少し慣れなければ。
午後はRCSC(ブータン政府人事院)へ表敬訪問。ここが各国からくるボランティアの受け入れを一気に扱っている部署です。そこの事務方のトップ(日本でいうと事務次官クラス?)にご挨拶。普通のどこにでもいるような日本のおばちゃんみたいでした…でも彼女は公務員の人事権を一手にしているので、例えば自分のブータン人パートナーが全然仕事しないとか彼女に告げ口すると、その人のクビを飛ばすことも簡単にできるとか…最後に「なにか困ったことがあったらいつでも言ってね」と言われましたが、あれって日本的な社交辞令じゃなくて、本当になんでもしてくれそうである意味怖いです…
オリエンテーションも早めに進んでいるということで、今日はこれで解散。ドミまで車で送ってもらい、近所の「ショッパーズ」という大きめ(ブータンでは)のスーパーに言って買い物。それにしてもいろいろと売っています。外国製品は値段は高いですがブータン製品は安く手に入ります。(あんまり種類はないけど…)
帰りにキャンティーンというレストラン(なんてシャレたもんではないですが…)で遅い昼食(昼休みは頭が痛くて寝てた)。もうライスはないというのでサモサとなんか(名前忘れた…)を2個づつ注文。どれも1個5Nu(約15円)と激安…台湾と同様、ここも食べ物は安いです。
ドミに帰ってから溜まってたメイルチェックやblogの更新なんかでのんびりまったり。
09月26日(金)
今日は一日中オリエンテーション。ちょっと眠くなりましたが、高山病らしきものは殆ど良くなって頭痛も治りました。
お昼はセンターポイントという日本食も出すJICA御用達のお店に食べに行こうとみんなで言っていたのですが、ちょっと時間がない(食べ物が出るのに時間がかかるらしい)からドゥルックホテルのレストランで食べようということになりました。
今でこそ高級ホテルが乱立しているティンプーですが、その前まではティンプーで一番の高級ホテルだったところです。ビジネスランチが一食120Nu+10%サービス料にミネラルウォーターを頼んで1人150Nu。いつものごはんに比べれば3〜4倍高いですが、日本値段で考えれば500円弱。しかもここは定員の対応も良いし味も辛くなくて美味しいし、なにより日本の普通のレストランのようにテーブルクロスにナプキンがキレイにしてあってブータンにいることを忘れそうになります。たまにはこんなごはんも良いですね。
またまた午後はオリエンテーション。で、とうとう別送した荷物が事務所に届けられました。やはり噂通り開けられた形跡もなければ早く確実に到着していましたが、私の荷物だけ段ボール箱が薄い上に大きさの割りに中がスカスカだったので潰れて隙間ができてしまっていましたが、無くなったものは無さそうでした。さすがブータン。
で、帰りはタクシーを捕まえて、インドスズキのマルチに大人5人(運転手含めて)に段ボールが6箱を山積みしてドミとホテルに回って今日は帰りました。夜ごはんは、この4日ですでに3回利用しているドミから一番近い料理屋、キャンティーンへ。既に顔を覚えられてしまったみたいです。食べていたらネズミが床を走っていて、すーさんと2人で「あーネズミだー」「ほんとだー」なんて喋ってました。いつの間にやら食事中に飛んでくるハエも気にならなくなり、だいぶブータン慣れしてきたようです。
09月27日(土)
今日はブータンに来て初の休日。それでも10時には起きて洗濯をしました。我ながら偉いな〜(あたりまえか)洗濯機はサムスン製の全自動でなかなか良い物なのですが、なにせ水の出が悪い。最初に残り時間30分と出ていても、すすぎで水を補給するとなかなか残り時間が減らず…結局1時間以上かかってしまいました。
午後は先輩隊員に連れられて市内見学&お買い物。一番の目的はゴを買うこと。ゾンカ語が達者な先輩隊員がいろいろと見立ててくれました。それにしても、選ぶ時にカウンターの中まで入って行って買ってにあれこれとって見てましたが、先輩隊員も平気で入って、店員さんも普通に応対していてちょっとびっくり。やっぱりゾンカ語ができると値段もまけてくれるし対応もフレンドリーで良いですね。私は一軒目の店で黒のゴを、スーさんは二軒目の店で伝統柄のゴを買いました。それにしてもブータン人はみんなおしゃれですね。お店には既製品からオーダーメイド用の布まで何百種類ものゴやキラがありました。その後はブータン料理の店でお昼ごはん。だんだん辛いものにも慣れてきました。
次は川を渡ってオールドサブジへ。ここは仏具や服を売っているマーケットです。案内してくれた先輩隊員が、初めの頃ここでゾンカ語の勉強のために毎週のように顔を出してゾンカ語をしゃべりまくっていたそうで、そのおかげでマーケットの殆どのお店の人と知り合いです。元々街中よりも安い値段で売っているのに、それよりもさらに安い値段にまけてもらったりしました。服の方は洋服が殆どであまりおもしろくありませんでしたが、仏具の方はいろいろあっておもしろかったです。今度家がちゃんと決まったらまたここに来て仏具集めに走りそうです…
さて、その後は一旦ドミに帰って先輩隊員に今日買ったばかりのゴの着付け教室。簡単そうに見えるあの衣装、着物並に着付けがすっごく面倒くさいです。教えてもらっても当然最初は一人ではできないので、これから慣れるしかないですね。今日はその先輩隊員に着つけてもらい我々新人隊員の歓迎会へ。
レストランを借りきってティンプーにいる隊員の殆どが集まって盛大な歓迎会でした。それにしてもみんなひとくせふたくせある人達ばかりですが、楽しくて心やさしい人達ばかりですね。
駒ヶ根の研修所でお世話になったブータン狂のY内さんがブータンに遊びに来ていて、約二週間ぶりの再会。あそこを出てからたった二週間しか経っていないのに随分昔のことのようで懐かしかったです。
二次会はブータンにしては洒落たバーへ。前の会場で余った酒やらジュースを持ち込んで、2〜3杯しか頼まない不良客でした…でもブータンではレストランへの持ち込みは当たり前だそうで、店員も全然文句をいいません。12時のラストオーダーになると、バーテンが鐘を鳴らして知らせてくれます。
次はドミで余ったビールで4時まで宴会。はっきりいって死にました…先輩隊員は一階のリビングでそのまま雑魚寝、スーさんと私は這うようにして二階の部屋に行ってようやく長い一日が終わりました。
09月28日(日)
昨日(正確には今日)の午前4時くらいに寝て、朝10時過ぎにH田さんの電話で起こされました。Y内さん達が今日ティンプーからパロへ行き、明日日本に帰るそうです。スーさんと私はそれで起きましたが、一階で寝ている先輩隊員は起こしても起きないのでそのまま放置してS崎調整員の家へ。Y内さん達はS崎さんの家に泊まらせてもらっています。
S崎さんの家は外務大臣が住んでいる住居の中にあり、入口には銃を持った(AK47だった)兵士が警備をしているような家です。勝手に中に入っていたら、兵士があわてておいかけてきて「どこに用があるんだ」と聞かれたので「Mr.Sの家に用だ」「部屋番号は?」「知らない」なんて会話があったので電話でS崎さんを呼んで玄関まで出迎にきてもらってようやく中に入れました。
中はブータンとは思えないほどの立派な造りの家で、さすが外務大臣が住んでいる家です。そこに日本人が住んでいるのは、というより自分の家(といってもアパートくらいでかい)を貸し出す外務大臣なんて日本だったら問題だと思うんだけど…
S崎さんの家も立派で柱から壁から床からうちらの住んでいるドミとは根本から造りが違っていました。広い4LDKの家具付きの家で、そこに1人で住んでいるそうです。
さてS崎さんに連れられてティンプー市内でY内さん達の買い物に同行してあちこちを回り、お昼は中華。何故かエマダチやスパゲッティやキムチまである不思議な中華でしたが、味は美味しかったです。
その後、Y内さんのお友達がカトマンズの空港で荷物を運んで欲しいと頼まれて、その人の店を探しに。普通なら絶対ヤバイパターンですが、それが全然危なくないのがブータンの良いところ。中身は普通の医薬品でしたが、店が聞いていた場所から移転したらしく、ようやくそのお店を見つけて荷物を渡すことができました。ネパール人のオーナーがとても感激してくれて、我々一行にお茶をふるまってくれました。
その後Y内さん達はS崎さんの車でパロに送ってもらうということでここでお別れ。また来年も来ると(99%本気)言ってました…
ちょうどその頃に、ドミの一階で寝ていた先輩隊員達が起きて街中にいるというので合流。明後日、配属先へ表敬訪問するので、それに必要なカムニを買いに行きました。やっぱり先輩隊員のゾンカ語のおかげで安く買えて満足。ちょうど同じ店にオーストラリアから来た観光客がいたのでちょっとお喋り。久し振りに聞く西洋人の英語は、やっぱりブータン人の英語より発音が良いので聞き取りやすいです。
次にインポートショップで海賊版のDVDをみんなで漁りに。1枚約600円のは多分コピー品、1枚約300円のは多分劇場で盗撮したやつ。その代わり最新版も多かったです。私なんかはまだきたばっかりで街歩きするだけで楽しいんですが、みんなは娯楽に飢えているのか1人10枚以上買っている人もいました。
買い終わった頃にはすでに夕方。ここで解散しドミに帰りました。途中で同期のSVの方2人に遭遇。それにしても狭い町なので、どこかしらで知り合いに会います。SVの方は我々お勧めのお店を聞いて夕食を食べに、我々はそのままドミに帰りました。
ブータン初の休日、2日間ともとても充実した日でした。
09月29日(月)
今日から午前中はゾンカ語研修。早速ブータン人の先生は30分くらい遅れてきました…いまさらながら、これが普通なんですね。もちろん、あやまりもしなければ悪びれたふうもなく、そのまま授業が始まりました。
ゾンカ語はネパール語と一緒で、文法は日本語とほぼ同じです。ちなみに最初に習う「ku zu zangpo la」は「Hello」の意味ですが「Good morning」も「Good afternoon」も「Good evening」も全部一緒です…文字はまさにミミズがのたうちまわっているような字で最初からパス。一週間しかないので会話オンリーです。もちろん、先生はブータン人なので英語での授業。なので何度も発音していると、英語とミックスされてまるで呪文を唱えているようで頭がシェイクされてきます。
午後は予防接種へ。駒ヶ根の続きでB型肝炎のワクチンを地元の病院でうってきました。でもワクチンは日本から運んできたもので、うつだけが地元の医者です。針が日本のものより細いらしく、駒ヶ根でうった時に比べて全然痛くなかったのが幸いです。
その後もオリエンテーションがあって今日は予定通りの時間に終了。夕食は今日の昼も食べたキャンティーンへ。相変わらず油こくって塩辛くて唐辛子の辛さで胃がもたれます。
09月30日(火)
今日の午前中もゾンカ語研修。前半は授業で、後半はいきなり外に出て、お寺に参拝にきているブータン人に話しかけるっていうサバイバルレッスンだった…まだ習って2日目で覚えた単語も100語もないっちゅーのにどーせーちゅんじゃって感じ。で、今回できたのは、相手の名前と出身地を聞いて自分の自己紹介をすること、後は「これはなんですか?」て聞くこと。喋るのはできるんだけど、名前や出身地はまだ理解できても「これなに?」て聞いて答えられてもすっかり単語が理解できん…そこだけ先生が通訳してくれました。でもブータン人はみんな親切で、私たちが話しをしていると、一杯人が集まってきてあれはこーだーこれはあーだーと、とにかく一杯喋れたことには喋れたな〜すげー疲れたけど。
午後は私とすーさんのボスに表敬訪問してきました。なんと、私の為には職場で一部屋個室が与えられることになっていました…直接ボスとも話したけど、と〜っても期待されているらしい。カウンターパートナーはとても優秀な人で、オーストラリアの大学院を卒業して将来は教育大臣になってもおかしくないような人らしいんだけど、彼の構想を実現できるだけの資金と人材がいなくてずーっと私がくるのを待ってたんだそうで…う〜ん、めちゃくちゃプレッシャーかかってます。
ついでに私の家が見つかったので見に行きました。職場から歩いて10分くらいの築1年のマンションの2階。すぐ近くにちょっとした商店が何件かあって便利そう。前に住んでたのが日本の女の子(JICA関係者ではない)で帰ったすぐ後らしい。2LDKで何故かトイレが2箇所。残念ながらバスタブはなくて、洋式のトイレとシャワーが一緒になっている所でした。それ以外は日当たりも良いし窓がアルミサッシだから暖かいし、床も全然ぎしぎし言わない(ブータンじゃぎしぎし言うのが当たり前…)し部屋も広いしバルコニーも何故か2箇所付いていてさらに家具付き(今日はまだなかった)でしかも電気代が家賃に込みだから電気は使い放題。こっちは電気暖房が主流だし私は電化製品を沢山日本から持ち込んだので、とてもありがたいです。でも他の人たちは家賃とは別にちゃんと電気代を払っているので、他の人には内緒ねってJICAの人に言われました。あ、それと見晴らしがすごく良いです♪ちょっと高台になっているので、山や空やティンプーの町並みが良く見えるます♪しかもカウンターパートナーの家が真正面…なにかあったらすぐ家に遊びに来いとか、雨の日や遅くなったら家まで車で送ってやるとまで言われましたが、逆にさぼったりはできませんね…
そして大家さんもとても優しそうで良い人でした。ここでは大家さんとの関係がすごく大事らしい。仲良くなったらいろいろ便宜を図ってくれたりするらしいです。なんか今日職場と家が分かっただけで、すげーテンションあがってきました。
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