板門店
(その3)

2006年8月14日(月)

北朝鮮の監視所
また自由の家の中を通りバスへ戻る。一番最初のグループだったので、他の人たちが帰ってくるまでしばらく待たされる。
これで終わりだと思った会議場見学だったが、最後にバスで会議場の目の前の道路をゆっくり走ってくれた。
運の良いことに、我々の座った席はちょうど会議場側。バスからの窓越しとはいえ板門店の休戦会議場を目の前から撮影することができた。
そして先ほどは見ることのできなかった北朝鮮の兵士も見える。彼らは韓国軍の兵士とは違い、休戦ラインぎりぎりのところでど真ん中に立っている。

板門閣
もっとじっくり見たかったが、ゆっくり走っているとはいえバスを止めることができないそうなのであっさりと通り過ぎてしまった。
くねくねと林の中の道を抜けると、突然見晴らしの良い小高い丘の上に出る。ここが次に立ち寄る第三警戒所だ。
警備にあたる兵士

周囲は一面の森
周囲は一面、木におおわれていて豊かな自然が広がっている。ここは人間の都合で人が立ち入れなくしてしまったので、今では野生動物の宝庫になっている。
しかしその豊かな自然の中にも不自然な人工建造物がちらほら見える。すぐ目の前には白い杭が等間隔に埋め込まれており、それが国境線だ。
国境を表す杭

国境の看板
国境線上にときおり看板がみえるが、これが国境沿いに順番に番号が割り振られているらしい。
そして森の中に北朝鮮の建物がいくつか見える。ここでもほんの数メートル先は北朝鮮の領土だ。
所々に北朝鮮の監視所が見える
緑豊かな自然の風景なのだが、実は森の中には国境沿いに地雷が埋め込まれているらしい。
これだけ広ければ越境など簡単にできそうだと思うのだが、現実には無理なのだろう。
所々に塹壕が

北朝鮮の宣伝村
ここからも北朝鮮の宣伝村は見える。先ほどの自由の家より若干近いのか、例の鉄塔が少し大きくみえるが、村の様子は肉眼で見ることはできない。
ここからはポプラ事件の現場や帰らざる橋も見ることができる。
ポプラ事件の現場
ここの監視所も他と同じく青で塗られている。ここでは同行したアメリカ兵との写真撮影も可能だった。

国連軍の記念碑

第三警戒所
再びバスに乗り、今度はポプラ事件のあった場所へ。ポプラ事件とは、ここにあったポプラの木が大きくなりすぎて韓国側の監視所が見通せなくなったために国連軍がこれを切り倒そうとし、それに反発した北朝鮮の兵士が作業をしていたアメリカ兵を斧で殺してしまった事件だ。
切り株跡
ちなみに最初に訪れたキャンプは、この殺されたアメリカ兵の名前を取って、ポニパスキャンプと名づけられたそうだ。実際にはもうポプラの木はなく、切り倒されたポプラの切り株を模したモニュメントが残されているだけだ。
そのポプラ事件の記念碑の直ぐそばには、帰らざる橋がある。ここは南北双方の捕虜が自国へ帰る時、この橋を越えると二度と帰ることができないことからこの名前がついたそうだ。
帰らざる橋の直ぐ横には韓国側の詰め所もあるのだが、今は無人のようだ。橋を越えると北朝鮮のはずだが、こんなに警備が甘くて良いのか心配になってくる。橋自体はずっと使われていないのだろうか、土埃にまみれている。
残念ながらここで降りることはできず、バスの中から写真を撮るだけだった。

帰らざる橋

愛想の良い米兵
そしてバスはキャンプポニパスへ戻っていく。途中警備中の兵士とすれ違うのだが、Iムさんは「ここからは自由に手を振っても良いですよ」とみんなに勧めていた。
キャンプポニパスに戻ると、バスを降りる時に通行証を返却する。そしてお土産屋に通された。あまり軍事ヲタが萌えるようなグッズはなかったが、DMZの本物の有刺鉄線がシリアル番号付きで売っていたのでそれを買ってしまった。
同行したアメリカ兵は随分サービスが良く、店内でもポーズをとって愛嬌を振りまいていた。
ここで最初に来たバスに乗り換え帰路に着く。途中ドライブインのようなところで昼食を取らされる。全て見終わった後なんだから、わざわざ昼食になぞ立ち寄らずにさっさと解散して欲しかったのだが…これもツアーの悪いところだ。韓国料理のバイキングだが味はイマイチ。
帰りの車内では、行きに書いた宣誓書を返してもらった。これは良いおみやげになる。そして強制的に撮られた写真の販売だ。買う気もないが見るだけ見てみると、自分ひとりだけそっぽを向いて北朝鮮側をじっと見ている写真があった…
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