18ミュージアム・オブ・フライト
(その1)
[グレートギャラリー]

2018年04月07日(土)
シアトルに到着してまずこの航空博物館にやってきた。天井からぶら下がっているのはRumpler Taube。第一次大戦前にドイツで初めて量産された軍用機。世界初の航空機による地表への爆撃を行ったりしたものの、開戦時には既に陳腐化しておりすぐに第一線から退いた。これはレプリカ。
世界中の航空博物館にあるリリエンタールのグライダー。当然レプリカ。
1902ライトグライダー。ライト兄弟がライトフライヤー号(動力飛行機)を飛行させる前に実験の為に作られたグライダー3機のうちの3機目の機体。この機体で初めてヨーコントロールが採用された。これもレプリカで本物は現存しない。
ボーイング社が最初に製造した水上機、B&W Model1。この機体はボーイング設立50周年記念の1966年に再現された物。現在でも飛べるようにエンジン等はオリジナルとは違う物が搭載されている。
ライアン・エアロノーティカル・M-1。ライアン社は後にリンドバーグが大西洋横断飛行に成功したスピリット・オブ・セントルイス号を製作した会社。この機体はライアン社が最初に製造した郵便機。
1928年のスワロー社ヴァニー・スワロー・郵便機…に似せて復元した元はOX-5。1976年のユナイテッド航空設立50周年を記念して復元され飛行も可能らしい。
チャーリー・マカリスターさんが個人的に作ったグライダー、ヤキマ・クリッパー。当時のグライダーによる飛行時間記録を打ち立てた。特にレプリカと書かれていなかったから本物?別の博物館でも似たようなグライダーを何度か見た気が…
セスナ・CG-2。1930年にアメリカ初の商用グライダーとして発売された。世界恐慌の直後の販売であったがそれなりに売れたようだ。これは実機。
ゴッサマー・アルバトロス2人力飛行機。1976年にドーバー海峡の横断に成功したのは1号機で、展示のこの機体は予備機の方。見てみるとあまりにも細く人が入るのは大変そう。
スティンソン・SR・リライアント。リライアントは1933年に製造されたSRシリーズのイギリス向け輸出バージョンで、戦争中は主に通信、輸送等の後方支援任務に就いていた。戦後は民間に払い下げられてプライベート機やエアスポーツに使われた。元々SRは陸上機だったが、この機体はノースウェスト航空向け水上機として改装されたもので、1979年までアラスカで飛行していた。
グランビルブラザーズ・ジービー・モデルZ「シティ・オブ・スプリングフィールド」。1931年にトンプソン・トロフィーレース出場を目指して製作され、当時の地上機の速度世界記録・時速280マイルを記録した。しかし操縦性に難があり、飛行中に右翼が破損してパイロットは死亡した。これは1978年に製造されたレプリカで、映画の撮影に使用された。
フェアチャイルド・F-24W。戦前はハリウッドスターのプライベート機として人気があったが、戦争中は陸軍に徴用された。一部はイギリス向けに「アーガス」の名前で売却された。F-24は大雑把にエンジンの違いでRとWの2種類ある。展示されているW型はワーナー・スカラブエンジンを搭載している。この機体は1941年に製造され民間や軍を転々とした後、1985年にこの博物館へ収蔵された。
ステアマン・PT-13A・ケイデットA75。ステアマン社は後にボーイングに買収されてウィチタ工場になった。頑丈で操作性が良い事から戦時中は陸軍、海軍両方から練習機として1万機以上が製造された。PT-13AはR-680-7エンジンを搭載し1937年から92機が製造された。この機体はPT-17のコンチネンタルR-670-5エンジンに換装されて復元されている。
エアロンカ・L-3B・グラスホッパー。大戦中に連絡・観測機として使われた。戦前からある民間用の軽飛行機の設計を元にアメリカ軍が改良したもので、コストと開発期間を抑えることができた。このグラスホッパーの愛称は少々ややこしくて、テイラークラフト社のモデルDはL-2、パイパー社のJ-3・カブはL-4、そしてこのエアロンカ社はモデル65TC・ディフェンダーはL-3というそれぞれ違う機体ながら愛称は全て「グラスホッパー」である。
パイパー・J-3C65・カブ。軍用は上記のグラスホッパーになる。戦前の軽飛行機のベストセラー機で2万機以上が生産された。
ラムソン・L-106アルコア・グライダー。この機体はただのグライダーではなく、1960年代にロバート・ラムソンさんが考案したアメリカ初の複合材による商用機。
ビーチ・C-45H・エクスペディター。元々ビーチクラフトの民間用モデル18でその軍用版。非常に優秀な機体で1969年まで製造が続いた。この機体は1942年に製造され、1951年にエンジンをプラット・アンド・ホイットニーのR-985AN-14Bに換装されている。軍から払い下げられた後は病院の輸送機や消防機として1980年まで活躍した。
バウワーズ・フライベイビー・1A。EAAのデザインコンテストにピーター・M・バウワーズさんが応募して採用された機体。生産が容易で低コスト、牽引が可能でコンパクトに折りたたむことが出来る等EAAの要求を満たしていた。さらにオプションでフロートを装着して水上機にもなれるらしい。この機体はプロトタイプ第一号機で1980年まで飛行していた。
シコルスキー・HH-52・シーガード。アメリカ沿岸警備隊で25年以上にわたって使用された。沿岸警備隊の装備に相応しく、機体が水上離発着可能なように設計されている。
ノースロップ・YF-5A(N-156F)・フリーダムファイター。アメリカ以外の途上国で良く見られたF-5Aのプロトタイプ。一部は今でも現役で活躍している。
ロッキード・F-104C・スターファイター1959年にアメリカ空軍の迎撃機として導入されたものの操縦性の悪さからアメリカではすぐに引退、日本を含む海外で多くライセンス生産も含めて使用された。この機体はNASAの塗装がされていて、さらにアメリカ空軍博物館からの貸与品らしい。
ステファンズ・アクロ。1967年に競技用飛行機として開発された。この機体は210馬力のライカミングエンジンに換装されている。
ロッキード・YO-3A・クワイエットスター。愛称のとおりベトナム戦争時になるべく静かに飛行して敵ゲリラを発見するなどの観測機として使用された。この機体はわずか11機しか製造されなかった内の6番目の機体で、ベトナム戦争後は航空学校で使用されていた。
ダグラス・DC-3。言わずもがな、戦前のベストセラー機で1万機以上が製造され、1935年に初飛行ながらも今でも稼動可能な機体もある。戦時中は輸送機のC-47として改造、生産され、戦後にDC-3に戻された機体もある。この機体は1940年にアメリカン航空向けに製造され、2万時間以上飛行したものだが、何故かアラスカ航空の塗装になっている。
ヒース・パラソル。1926年にエドワード・ヒースさんが設計したアメリカ初の家庭向け?飛行機キット。この手の商品としてはそれなりに売れた方で1000機以上は売れたようだ。しかし残念ながらパラソルの低翼モデルの開発中、自ら操縦して事故に遭い死亡した。
エアロンカ・C-2。安価で小型・軽量の機体は「空飛ぶバスタブ」と言う愛称が付いていた。世界恐慌の1930年発売にも係わらずそれなりに売れたようだ。
リアファン2100。プロペラが機体後部にある推進式で機体の殆どに複合材が用いられている。この機体は1981年に飛行したプロタイプ。設計したビル・リアさんはこの機体が完成するのを見ること無く亡くなってしまった。先進的な機体だったがアメリカでの耐空証明を取得できずに、わずか3機の生産で開発は終了した。
ロッキードマーチン・RQ-3A・ダークスター。1996年に初飛行した無人機で、胴体はロッキードマーチン、翼はボーイングがそれぞれ設計した。当然ステルス機能搭載で、ダークスターが収集した情報はリアルタイムで衛星を通じて軍に送ることが可能。しかし最初のプロトタイプは2回目の飛行で墜落、改良型が2機生産されたものの、一度も飛行することなく予算削減で開発は中止された。この機体はアメリカ空軍博物館からの貸与品。
AGM-86B空中発射巡航ミサイル。結構新しそうに見えるが、最初の実験は1975年と以外に古い。生産はボーイングで1986年までに1715発生産された。このミサイルが運用できる機体はB-52G/HとB-1Bだけ。A型は不採用になったので、このB型が最初の量産型になる。当然核弾頭が搭載可能。湾岸戦争等で使用実績がある。
スキャンイーグル無人偵察機。元々民間の気象観測や魚群探知に使われたシースキャンの軍用バージョン。小型で簡易な運用が可能な為、空母以外の艦船でも運用が可能。アメリカ海兵隊と海軍が2004年から運用しているが、メーカーに運用を委託して軍がデータを買い取るという形式を取っているので正式な軍の形式が無い。
エアロゾンデ。アメリカ軍が出資しオーストラリアのエアロゾンデ社が生産している無人機。主に気象観測等に使用されている。この機体はライマと名づけられ、無人機としては世界初の大西洋横断に成功している。
フィーゼラー・Fi103・V1。これも世界中の博物館で見られる定番。この機体はミッテヴェルクの工場から回収された部品で修復したもの。
(その2)
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