18フライング・ヘリテージ・コレクション[本館]
(その1)

2018年04月08日(日)
マイクロソフトの共同創業者の一人で資産家であるポール・アレンの「個人」コレクションがこの博物館だ。まさに男の夢を体現したような博物館で、その収蔵量は個人の域を超えている。
最近ではこれまた個人マネーで戦艦武蔵を発見したことでも有名だ。
中島・キ43・一式戦闘機・隼・オスカー。今更ながら色々呼び名があるな…第二次大戦中の日本陸軍の主力機で、この機体はラバウル飛行場近くのジャングルに不時着し破損した機体を、終戦直後に日本兵の手で復元されたもの。その後オーストラリアや個人所有者の間を転々とし、1999年にこの博物館が購入した。ほぼオリジナルの機体とエンジンで飛行可能な状態で復元されている恐らく世界で唯一の機体で、あまりにも貴重すぎて結局空を飛ぶことは殆ど無いと言われている。
メッサーシュミット・Bf109 E-3・エミール。第二次大戦中のナチスドイツの主力戦闘機で、戦争中の全期間で活躍した。E型はエンジンをダイムラー・ベンツDB601Aを搭載し、E-3型はMG FFを翼内装備として第二次大戦の初期に活躍した。この機体はJG51に配備され、フランス戦で活躍したエドアルド・ヘメリングの操縦でドーバー海峡での戦闘中に墜落したが、1988年にフランスのカレーの海岸で砂浜から飛び出た翼端が発見されて発掘されたもの。その後イギリスで修復作業が行われ、この博物館に所蔵された。
フォッケウルフ・Fw190 A-5。1941年秋に登場し、Bf109に代わってナチスドイツの主力戦闘機となった。液冷エンジンが多いドイツ空軍では珍しく空冷エンジンを搭載し、戦闘爆撃機型も製造された。A-5はエンジンの重心位置を変更した機体で様々な派生型が製造された。この機体は1943年に製造された後、対地攻撃用に改造された。JG54に配備され主に東部戦線で活躍したが、1943年7月9日にソ連の補給部隊を攻撃中に撃墜された。実はその時パイロットは捕虜になったものの機体は森林に隠されていた為、1980年代後半にほぼ無傷の状態で発見・回収された。その後慎重に解体とヘリによる輸送が行われ、イギリスとアメリカで大規模な修復工事が行われた。そのおかげで、この機体も唯一のオリジナルのBMW801エンジンで飛行可能な機体となっている。
フォッケウルフ・Fw190 D-13・ドーラ。連合軍がP-51等の高高度戦闘機を投入し始めると、従来のFw190では次第に対抗できなくなり、対抗として製造された機体。D型は液冷のJumo213A型エンジンを搭載したため機首と胴体後部をを延長、スマートな印象に見える。D-13型はD-12型のモータカノンをMG151/20 20mm機関砲に変更したもので、エンジンはJumo213 F-1型を搭載。この機体は現存する唯一のD-13型で、1945年3月にJG26の指揮官機の任に就いた。ナチスドイツ降伏後はアメリカ・インディアナ州に送られ、後にジョージア工科大学に貸与された。その後も個人所有者を転々としながら2001年にこの博物館に収蔵された。
フィーゼラー・Fi156 C-2・ストーク。第二次大戦中、最も優れた観測・連絡機の1つでC-2型は観測用で2座席、後部に自衛用のMG15機銃を装備していた。この機体の出自は不明で、1939年後半に製造されたと推測されている。その後1980年代に東ドイツでボロボロの状態で発見され、1980〜1990年代にミシガン州の企業によって修復され、2000年にこの博物館へ収蔵された。機体の塗装はバルバロッサ作戦に従軍した第54爆撃隊所属のカラーリングが施されている。
(その2)
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