18フライング・ヘリテージ・コレクション[別館]
(その7)

2018年04月08日(日)

三菱・A6M3-22・ゼロ。日本を代表する戦闘機で1万機以上が製造された。開戦当初は高い機動力と長大な航続距離に重武装で連合軍を圧倒したが、鹵獲した機体を解析したアメリカ軍によってゼロ戦対策が行われたり新鋭機が投入されると次第に優位性を失い、ついには特攻機として使われるようになった。

この機体はニューギニア戦線でアメリカの爆撃機に破壊された機体で、1990年代に発見されロシアで修復作業が行われた。ただロシアでの修復作業はいいかげんだったらしく機体に損傷を残してしまい、チノで再修復を行ってアメリカ製のエンジンを搭載し、飛行可能状態にまで復元された。
この機体はさらに複座に改造されて1998年にこの博物館に収蔵された。ちなみにポールアレンはこの機体を含めてゼロ戦を3機も所有しているらしい

ノースアメリカン・P-51D・マスタング。第二次大戦中の最高傑作機とも言われている。大戦後期に活躍したイメージが強い機体だが、第二次大戦勃発直後の1939年から設計が開始された。当初はアリソンV-1710エンジンを搭載しパッとした性能ではなかったが、後にイギリスのロールスロイス・マーリンエンジンを搭載すると本来の優れた性能を発揮した。

それこそゼロ戦の特徴だった高い機動力と長大な航続距離に重武装で当時の戦闘機を凌駕し、爆撃機の護衛に対地攻撃にと大活躍だった。この機体はアメリカ第8軍第353戦闘集団に所属、トルドフさんの乗機として欧州戦線で活躍した。戦後はスウェーデン空軍に派遣後ドミニカ共和国に売却された。
戦後ドミニカ空軍では30年以上現役でカリブ海上空を飛行していて、今でも飛行可能な状態だと言われている。1998年にこの博物館に収蔵され、2003年にはかつての相棒であるトルドフさんとも再会した。

グッドイヤー・FG-1D・コルセア。元々はチャンスボート社のF4Uコルセアだが、グッドイヤーに生産が移管された機体には「FG」が付く。

1Dは水噴射エタノール装置付きR-2800-8Wエンジンを搭載した機体で、さらに主脚の改良により空母への着艦ができるようになった。
最初の戦闘は1943年のガタルカナル戦で、海兵隊機として戦闘に参加した。

リパブリック・P-47D・サンダーボルト。

アメリカが第二次大戦に参戦した時には重装甲・重武装・強力なエンジンで軽量な機体と優秀な戦闘機だった。
P-51が出現するまで爆撃機の護衛の主役はP-47だったが、D-Day以降は対地任務が主になっていった。
ロールスロイス・マーリンMk25 V-12エンジン。第二次大戦中にイギリスで生産された最高傑作エンジン。1936年に開発された水冷12気筒エンジンでスピットファイア、ハリケーンのような戦闘機、モスキートやランカスターのような爆撃機等に幅広く使用された。さらにアメリカやカナダでもライセンス生産が行われ、アメリカ製のいわゆるパッカードマーリンエンジンはP-51に搭載されて大成功を収めた。Mk.25型はモスキートの夜間戦闘機タイプに搭載されていた。

デ・ハビランド・D.H.98 モスキート T.Mk3Tは練習機、Mk.3は並列複座練習機型でF Mk.2から武装を撤去して操縦装置を並列に搭載した。戦闘機並みの機動力を持つ爆撃機だったが、機体の殆どは木製だった。

ただしエンジンは強力なロールスロイス・マーリンV-12エンジンを2機搭載し、空軍から要求された高速爆撃機という任務を十分以上に成し遂げた。木製機なので当然戦略物資であるジュラルミンの節約にも繋がり、バトルオブブリテンの陰の立役者とも見ることができる。
この機体は1945年にイギリスのリーベスデンで訓練機として製造された。1963年にイギリス空軍から引退する時には最後の1機だった。引退後は帝国戦争博物館で1988年まで展示されていたが、2003年にこの博物館が買い取り飛行可能状態に復元するためにニュージーランドの会社に搬送され、2016年からこの博物館で展示されている。
(その6)(その8)
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